悪い神様を祀っている神社がある?
みなさんは神社の神様に対してどんなイメージを思い浮かべますか?
「いつも見守ってくれてる」とか「願い事聞いてくれる」とかそんなイメージかもしれません。
でもじつは人間に災いをもたらす存在も神様として祀られていたりするんです。
例えば金神(こんじん)様。この神様のいる方角はあらゆることが凶とされています。他にも天然痘という病気を神格化した疱瘡(ほうそう)神といった神様もいます。
「災いをもたらすのになんで神様なの?」って疑問に思う人もいるでしょうが、なぜ人間にとって災いとなるものが神様となったのか考えてみたいと思います。
信心し尽くすと人間を助けてくれる神様になる?
時代劇で神社のお札が玄関の上に内側を向けて貼られているのはなぜか?
自分は時代劇をちょくちょくみるのですが、町民の長屋とかのシーンで玄関の人が出入りするところの上にお札が祀られているのを見て、なんで玄関なんだろうと思うことがありました。
お札は家の中を向いているし、悪いものが外から入ってくるのを防ぐためのお札でもなさそう・・・
時代劇だから家の内部まできちんと時代考証がされていないということも考えたりもしましたが、うーん?
そんな中、神主経験のある友人と話していて納得できる話が出てきましたので書いてみたいと思います。
「ただ、話を全て鵜呑みにせず、ウラを取ってくれ」と言われたので、確証のある話ではありません。そういう風にかんがえている人がいるんだぐらいで考えて、
話半分でお読みください。
お札に対する考え方は江戸時代と明治時代で大きく変わった
神社と賽銭泥棒・室外機を盗むやつらも・・・
神社に設置されている賽銭箱。ここにお賽銭が入っているのは皆さんご存知のことかと思いますが、私が以前いた神社ではこの賽銭を狙ってくる泥棒がいました。
大きな神社では夜でも宿直の人がいたり、セキュリティ会社に依頼をしていることが多いのですが、小さな神社では人が少なかったり、予算が回らなかったりでなかなかそこまですることができません。
小さな神社だとお賽銭よりもそれを守る防犯システムのほうにお金が掛かってしまうので導入できないといったことも多々あるようです。
賽銭箱にそんなにお金入ってないのに
大きな神社ならともかくお賽銭箱に入っているお金って小銭がほとんどでお札が入っていることなんてレアです。
お祭りのときやお正月のときは当然金額が多くなるのですが、その日のうちにお賽銭は回収してしまうので人気のいなくなった深夜はほとんどお金が入っていません。
神社と神主の数をチェック・人手不足の理由を考える
世の中アルバイトの人手が不足したりしているようですが、神社界も人手不足。
今回はいろんな観点感から神社の人手不足について考えてみたいと思います。
数字で見る神社と神主の数
政府統計の総合窓口e-statというサイトでは宗教統計調査の結果も見ることができるます。
とりあえずここの2019年度の包括宗教団体の被包括宗教団体・教師・信者数をチェックしてみましたが、神道系の神社神道系の神社の数は
79070社
となっています。出雲大社教や金光教などの教派神道や新興の神社系宗教は含みませんが全国の神社の数はだいたい八万社ぐらいじゃないでしょうか。
伊勢神宮はなぜ世界遺産じゃないの?それは式年遷宮があるから!
伊勢神宮といえばみなさんも聞いたことがある有名な神社ですよね。
正式名称は「神宮」だったり、別宮などの125社も合わせた総称を神宮といったりするのですが、今回はそのへんは置いといて、伊勢神宮と世界遺産、そして式年遷宮について書いてみたいと思います。
なぜ世界遺産に申請しないのか
伊勢神宮は歴史もありますし、全国の神社の本宗といわれ、神社のトップみたいなところなので世界遺産に登録されていてもおかしくは無いだろうと思う人もたくさんいると思います。
しかし、実際のところ伊勢神宮は世界遺産に登録されていないんです。そして申請もされていません。
私も昔は「なんで登録されてないの」とか思ったのですが、大学の先生から話を聞くことがあり、納得をしました。
祭りの本当の意味って何なの?由来は?
「祭り」というと皆さんどんなことを思い浮かべるでしょうか?
「お神輿をかついでワッショイワッショイ!」
「露店が出て賑やかにドンチャン騒ぎ!」
とかそういうことを思い浮かべる人が多いと思います。
でも神主の感覚からすると「祭り」ってそれだけじゃないんですよね。そんなわけで今回は祭りという言葉について考えてみたいと思います。
神社関係で祭とつくものについて考えてみる
神社関連で祭が付くものについて思いついたものをざっと挙げてみます。
日供祭(にっくさい) 国や地域、氏子さんの発展を願い毎日行う
神葬祭(しんそうさい) 神主がやるお葬式(神社では行わない)
焼納祭(しょうのうさい) 正月飾りとか御札をお焚き上げするときにやるやつ
地鎮祭(じちんさい) 家を建てる前に神様に報告するやつ
とかいろいろです。
こうやって見るとお葬式にも「祭」と付いていて、何もワイワイ騒ぐだけが祭りではないということがわかりますよね?
こんな自分の説明でもわかるよねみなさん(説明ベタなのでわかってください)?
神主の感覚としては、神様に関する儀式を行うことが「祭」っていう感じです。
お神輿をワッショイワッショイ担いだり、芸能を披露したりして賑やかにするのも確かに「祭」なんですけど、それはあくまでも1つの側面であって、賑やかでない祭りもあるんですね。
ちなみに神様の前で歌や踊りなど芸能を披露することを神賑(しんしん)行事といいます。神様の前で芸事をすることで神様の力が高まり、その力を再び人間にももらおうって趣旨だと思います。たぶん。
ワッショイの意味
(イラストは適当に持ってきたので深く考えないでください)
余談ではありますが御神輿担ぐ時のワッショイワッショイという掛け声の語源は「和を背負う」といところから来ており、皆で神輿を担ぐことで皆に調和をもたらすという意味があるらしいです。
どこかの宮司さんが言ってました。
本当かどうかは知らん!でもまあ確かになるほどなってなる話です。
オイ…また話が逸れたぞ…
祭の語源て何なの?
ワッショイの語源の話が出たところで祭の語源についても書いてみたいと思います。
これも神社で仕事(ほんとは奉仕っていうけど)をしていた時にいろんな人から聞いた話なんで本当かどうかは知らん!ってことなわけですが興味があったら読んでください。
「集まる」から来ている説
神社でのお祭りをするときってだいたい人が集まって行います(日供祭は一人でやることもあるけど)。
お供え物を準備したり、祭の場所を整えたり、いろんな人の力があって祭を行うことができます。
皆が集まるという意味の「まつろう」という言葉があるらしいんですが、この「まつろう」が変化して「祭」になったという説です。
祭って何かの目的のために人が集まってくるからなるほどなって話です。
「待つ」から来ている説
お祭りというか儀式においては関係者皆で準備を万全に整えて式が始まるのを心静かに待ちます。
この「待つ」から来ているという説です。神様のことを行うに際して皆が気持ちを合わせ祈ることができるように静かにして待つ時間って確かに必要なのかもなって思うところではあります。
祭はみんなでやるものさ!
ってなわけで祭の意味とか語源について書いてみたんですけど、常に皆が気持ちを合わせるってことが関係してくるって気付いた人もいるんじゃないでしょうか。
気付いた?気付いた…?気づいたよね!?
またまた余談です。地鎮祭とか儀式のあとにみんなでお酒を飲んだりする直会(なおらい)ってのがあるんですけど、「直し会わせる」と読むことができて、同じ方向を向いて物事に取り掛かることができるようにという意味があるようです。
話がどんどん逸れていってしまっている気がしますが、いままでのことを箇条書きにしてみると…
賑やかにするのは祭の1つの側面
祭の語源は「集まる」「待つ」説がある。あとは知らん。
祭には皆が気持ちを合わせるためのことがたくさん
という感じかな!?
神社の祭りって神様のことをするのはもちろんなんですけど、祭に関わる人たちの調和という意味合いもあると思います。
もし、あなたが神社のお祭りなどに携わることがあったらそうしたことも思いながら参加してみてはどうでしょうか。
子宮教の子宮は神社説について思うこと
数年前に流行った通称「子宮教」と呼ばれる教えを御存知でしょうか。なんでも神社は子宮の象徴で、子宮をもとにして作られているのだそうな。そして女性は神の宮を宿す身であるというのです。
このことに関してはどのぐらい神話や書物などの引用が一切見られないことから根拠が無い話だと言われています。
まあ、その人が思っただけということですね。
たぶん友達の神社関係者に聞いてみても「子宮は神社?????なにそれ?」ってなると思います。
今回はこの神社は子宮をもとにして作られた説について、自分も根拠は無いけど思ったことを書いてみたいと思います。
子宮と神の子
御朱印のオークション転売問題について考える・代参という考えはあるけど・・・
時代は平成から令和のへと遷り、神社界では改元の際の御朱印転売問題で話題になっていますね。
平成最後の日と令和最初の日の御朱印のセットが何万円もの価格で取引されたり、いろんな神社の限定御朱印も高値で取引されたりして罰当たりだと憤っている人も多数いるようです。
近年はメルカリやヤフオクなどインターネット上での取引が盛んになり、御朱印以外にも多数転売はありますが、御朱印の場合は神社で受けるものなのでそんな軽々しくやりとりするのはちょっと・・・というのはありますよね。
御朱印とは
御朱印についてはいろんな人が解説しているので知っている人も多いと思いますし、自分も他の記事で書いた気がしますが一応。
御朱印は昔はお寺にお経を納めた際にその証としていただく印だったそうです。それが時代の流れとともに神社にも取り入れられ、参拝の証としていただくものとして変化していったようです。
建国記念日と紀元節と皇室と
さて先日2月11日は建国記念の日だったわけですが、建国記念の日って何を記念した日か知っていますか?
「建国記念なんだから国ができた日に決まってるだろ」と思うかもしれません。
建国記念の日って何があったのかというと(知ってる人はスルーしてください)、初代の神武天皇(じんむてんのう)が奈良県の橿原宮で即位されたとされる日なんですね。
戦前は紀元節(きげんせつ)という祝日になっていました。戦後にGHQの意向によって廃止されていましたが、のちに建国記念日という形で復活しました。
建国記念日じゃなくて建国記念の日なのがミソ
「建国記念日」と思っている人も多いかもしれませんが、実は2月11日って正確には「建国記念の日」として制定されています。
なぜかというと歴史学的に2月11日というのはかなりあやふやなところがあるから。初代神武天皇が即位されたとう紀元前660年というのは学術的には本当かどうかわかっていません。