神前結婚式の代わりに結婚奉告祭はどお?費用や流れなど

結婚奉告祭とは何なのかという札名から費用、服装、参列者、流れなど結婚報告祭に関することをまとめてみました。

受験と神社の話・裏話や合格祈願のお祓いお守りの効果

お正月は受験の時期が近いので学業のお守りを受けていく人もたくさんいます。 合格祈願、学業成就で有名な神社だと特にそうですね。太宰府天満宮とか北野天満宮とか。 東京だと湯島天神とかでしょうか。いずれも菅原道真公がご祭神です。 ってなわけで今回は受験と神社についていろいろ業界で聞いた話をご紹介したいと思います。 天満宮の宮司の子供として生まれるとめっちゃたいんへ? ※これはあくまでも一例ですし、聞いた話なので「こんな話もあるんだ~」ぐらいに捉えてください。

御札やお守りを返す場所「納札所」の話 こんなん入れられたら困りますわ

神社には古くなった御守(基本的には1年)を返すために納札所(のうさつじょ)という場所が設けられていることが多いです。そうでない場合は社務所に返す感じになります。 今回はこの納札所について書いてみたいと思います。 納札所って何を返すところなの? 基本的には神社のお札やお守りを返すところです。 「そんなのあたりまえだろ」と思う人もいるかもしれませんがけっこう違うものが入っていたりして・・・置物とか人形とか・・・ 納札所って人がいないことが多いですから、お守りやお札以外のものが入っていたら、それを見た人が「あ、これも入れていいんだ」と思ってどんどん入れてっちゃうんですよね。 大きな神社だとしっかり管理されててそんなことは無いと思うんですが、小さな神社さんだとそういうこともあり得ます。 よその神社のお札やお守りは入れていいいの? お札やお守りは、受けた神社さんに返すのがいいとは思いますが遠方でなかなか行けないということもありますよね。 そんなときは近くの神社さんにお返ししてもよいと思います。そこの神社さんの方針にもよると思いますがほとんどの神社さんで受け付けてくれると思います。 その場合は少し御礼のお金を納めると丁寧かもしれません。納める場所は納札所にあったり、お賽銭箱に入れてくださいといわれたり社務所だったりと神社によっていろいろです。 1年ぴったりで返さないといけないの?ずっと持っているのは? お札やお守りは基本的に1年で返納しますが、別段1年ぴったりじゃなくても近い日に返しに行けば大丈夫です。1年ぴったりに返さなきゃと気にしてたり予定を無理に空けたりするのは心に余裕が無くなりますし、身を守ってもらったり心を落ち着けたりするためのお守りなのに本末転倒です。 長い間持っていて悪いわけではありませんし、余裕のあるときに返しにいくのが良いと思います。 ちなみにお守りをずっと持っていることに関してですが、神様の力をいただくという意味であれば1年ごとに新しいお守りを受けたほうが良いですが、デザインが気に入ったからずっと持っていたいというのでしたらずっと持っていても構わないと思います。 ビニールとか燃えないものは入れないほうが良い お守り自体が燃えない素材でできている場合は仕方がありませんが、お守りのビニールの包装などは取ってから入れたほうが良いかもしれません。 包装はあくまで包装で神様の物ではないので捨てちゃって大丈夫です。ビニールとかあるとお焚き上げするときに困りますしね。 納札所に入っていたいろんなもの てなわけで納札所について書いてみましたが、納札所に入っていて困ったものについても書いてみたいと思います。 神棚のお供えに使う陶器のお皿とか 神棚にお供えをするときに使う陶器のお皿とかお酒を入れる瓶子(へいし)とかも入っていたことがあります。神様へのお供えに使っていたものなのでわからなくも無いけど入れちゃだめです。燃えないので困ります。 燃えないゴミで処分しちゃて大丈夫です。 パックの鏡餅のパックだけとか 最近は鏡餅もパックに入った便利なものが多いですが・・・中身を取り出したパックだけ放りこまれてました。これを見た瞬間は「ちょっ、ふざけんな!」って思いました。 年中行事で使ったものはなんだかゴミに捨てにくいという心理はわからなくも無いですが、さすがに鏡餅のパックは入れるなよと・・・ あとはお正月のお飾りについているダイダイ(みかん)が放り込まれて中身が出てたりとか・・・ ミッフィーのでっかいぬいぐるみ 普段はあまり人がいなくて納札所も毎日管理できない神社での話なんですが、けっこうぬいぐるみとか放りこまれてました。 ぬいぐるみは困るんですが、そのなかでも50㎝ぐらいのミッフィーのぬいぐるみが置かれていたことがあります。納札所に入らなかったからかそのへんにもたれかかって置かれたいた記憶が・・・ 陶器でできた和服姿の女の人の置物 陶器でできているので燃えないんですけど・・・ そこの神社はけっこう適当だったので神社の総代さんたちが陶器の置物もお焚き上げの火の中に放りこんでた気が・・・ 納札所にはお札やお守りだけ入れましょう てなわけで今回は神社の納札所の話でした。 納札所にはお札やお守りだけ入れましょう(神棚は・・・あんまり大きくなければ大丈夫かもしれないけど一応神社の人に聞いてからにしていください)。

厄年って何なの?お祓いは絶対に受けなきゃいけないの?

もうすぐお正月。 毎年、厄年の一覧表を見て「私今年厄年だー」なんていっている人をみかけます。「厄年だから悪いことあるのかな」と不安になる人もいると思いますが、必ずお祓いを受けなくてはいけないのでしょうか。 結論から言うと厄年だからといって必ずお祓いを受ける必要は無いと私は思っています。 じゃあなんで受けなくてもいいのかっていう話なんですが厄年に関する2つの由来から自分の意見を書いてみたいと思います。 厄年とは心身に変化が起こりやすい年という説 ざっくりいうと昔からの経験上これぐらいの年になると心や体に変化が起こりやすいので気をつけましょうねっていう話です。 あくまでそういう傾向があるっていう話しなだけなので人によって違いますし、厄年って知らずに過ごしてあとになって気づいたという人もいます。今と昔ではライフスタイルも違いますから、昔と同じとは限りませんしね。 また、厄年の年齢は33歳、42歳などがありますが、この語呂が33歳は「さんざん」、42歳は「しに」となることから嫌われたという説もあります。気になる人もいるかもしれませんが、ただの語呂合わせともいえます。 自分は野球が好きなのですがこうした数字に当たったとしても(年齢以外の場合でも)、「○○選手の背番号だ!というふうに考えて良いほうに考えるようにしています。 てなわけで厄年だからってその人にとってその年が絶対悪い年なのかといったらそうでもありません。 役目の「役」が変化したという説 これは神主をやっていた友達が説明していたのを聞いたのですが、「厄」というのは役目の「役」が変化したという説です。 昔は村々でこの年齢になったら神社の世話役をするという決まりがあったそうです。それが時代が下るにつれて神社の役目ではなく神社にお参りしてお祓いを受けるようになったのだとか。 そういうわけで神社のお世話をするといういうことであって災いが振りかかってくる年というわけではないので必要以上に心配することはありません。 お正月でも、神社の近くを通ったときでも、神様の前に行ってお参りをしてご挨拶をしておけば良いのです。 意識を高めて生活することが大切 というわけで2つの由来を取り上げてみました。 根本的な話をすると厄年にお祓いを受けても受けなくても、さらには厄年じゃないからといっても、無茶な行動や生活をしていたら、心や体に変化が起こりやすくなります。無茶してるんだからそりゃそうですよね。 お祓いを受けたから何をやっても大丈夫ということでなくて、お祓いを受けることで気持ちを整え、日々の生活を気をつけて暮らしていけるようにということではないでしょうか。 厄祓いするほどでも無いなと思ったら厄除けのお守りだけ受けて身近に持っておくというのもありです。身近にお守りを持って時々見返すことで「今年は厄年だから気をつけて過ごそう」そうした意識を持つことに意味があると思います。 「お祓いを受けて心を落ち着ける+自分の意識を高める」、もしくはお祓いを受けなくても「自分で普段から心と体の健康を意識して生活する」といったことが大切です。 少し話は逸れますが厄年でなくても「今年は勝負の年だ!」と思ったら神社でお祓いを受けてもいいですし、自分の好きにすれば良いのです。きちんと神様に敬意を持って接していれば、お祓いを受ける受けないは好みの問題です。 お祓いを受ける受けないは好みの問題 なんだか思っていることをいろいろ書いたらまとまりが無くなってしまいましたが、結局は自分の心持ちが大切なので厄年だからといって無条件にお祓いを受けないといけないわけではありません。 あんまり心配しすぎるよりも、日々をより良くすることを心がける、そのために心を落ち着けるために神様にご挨拶する。そうした中でお祓いを受けようという気持ちになれば受ければ良いですし、そうでなければ受けなくても良いということでいいんじゃないでしょうか。

神無月(10月)は神社にお参りしても神様はいないの?大丈夫な3つの理由

以前神社にいたときに参拝者からこんな質問をされたことがあります。 「10月は神無月(かんなづき)で出雲大社に神様達が集まるから神社に神様はいないの?」 出雲では神無月に神様が集まってくると言われており、神無月ではなくて「神在月(かみありづき)」というそうですね。だから他の地域では神社にお参りしても神様は居ないんじゃないの?という話です。 で、この質問をされたときに神無月に神社にお参りしても問題ないということは頭ではわかっていてもなかなか論理的な説明ができなくて悔やんだ記憶があります。 てなわけで今回は10月の神無月、旧暦の神無月で考えると新暦の11月ぐらい、に神社にお参りしても大丈夫な理由を自分なりにまとめてみます。 神無月に神社にお参りしても大丈夫な3つの理由 神無月の「無」は有無を表すのではなく助詞の「の」である 秋のシーズンは多くの作物の収穫を感謝するお祭りが各地の神社で行われており、神様のお祭りが非常に多いシーズンです。こうしたことから神の月とも言われています。 こうしたことから「無」は助詞の「の」であり、現在は我々が使っているように物の有無を表す言葉ではないということです。 6月のことを水無月といいますが6月は梅雨のシーズンも重なることから水が無いというイメージはありませんよね。こうしたことから水無月も「水の月」という意味だという説があります。 神無月の語源としてはこの他、神様にその年取れた作物である「新嘗(にいなえ)」を準備する月「神嘗月(かんなめづき)」が変化したという説もあるようです。 神様は同時にいろんなところでお参りできる 神無月は神様の月ということで神社にお参りしても大丈夫なんですが、仮に神様たちが出雲に集まっていたとしても大丈夫です。 人間の場合は当然違う場所に同時に存在することはできないのですが、神様の場合は話が別です。 例えば菅原道真公をおまつりした天満宮。○○天満宮というなまえで各地にありますよね。火の神様の秋葉神社もそうですし、有名な鶴岡八幡宮は源頼朝が京都の石清水八幡宮から神様を勧請してお祀りしたのが由緒です。 神様に対して1箇所からしかお参りできないのであれば「これらの神社にお参りしてる意味は・・・」ってなっちゃいますよね。 神様は分霊ということができるんですね。分身して違う場所に同時に存在できるというイメージ。だから仮に神様たちが出雲に集まっていらっしゃったとしても神社にも神様のはいらっしゃるのでお参りして何の問題も無いと思います! 神社は神様を感じるための場所 先ほどの内容ともちょっと重なるところもありますが、神社に神様が居ると考えるのではなく、神社はいろんな場所から神様の存在を感じるための場所であるという考えです。 神社の建物の雰囲気や周囲の自然、天候の変化など神社の中でいろんなことを感じ取り、神様という人間よりもはるかに大きな存在を感じ取るという自分の感性が大切なんじゃないかなと。 個人的には神社は神様を象徴するような御神体がお祀りされていて神様の存在を感じ取る場所(神社の周りの鎮守の森や自然も含めて)なので、神様がいるとかいないとか深く考えず、自分で神様のことをイメージしてお参りできたらいいんじゃないかなと思います。 神社は何月にお参りしても大丈夫だぞ! てなわけでぐだぐだと書いてしまいましたが、月なんて気にせず自分が神様にお礼を申し上げたいとき、特に用事は無いけど近くを通ったとき、いつでも神社にお参りして大丈夫です!  

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