お葬式というとお坊さんやお寺を連想する人が多いと思います。でも実は神主が行う葬式もあるんです。

これを神葬祭(しんそうさい)というのですが、今回はこの神葬祭について書いてみたいと思います。

神葬祭の歴史

古来から行われてきたとされる神葬祭ですが、仏教伝来とともに仏式での葬儀が主流となっていきました。

江戸時代には檀家制度によって人々はお寺に所属していたので葬儀も当然仏式でした。

そんな中、神職の働きかけによって変化が起こります。信州の神職からの申し出に対して、天明5年(1785年)に許可のある者に限っては当人と嫡子だけは神葬祭を行うことが許可されました。これがきっかけで許可を求める人々が増えたようです。

しかし許可が出ても神葬祭ができるのは神職とその嫡子だけであって他の家族は神葬祭りを行うことができませんでした。

大きな変化が起こるのは明治維新。明治元年の神仏分離令以後、各地で神葬祭を願い出て許されたことで神葬祭は一般庶民まで許されるようになったようです。

神道の死生観

神道では人は亡くなると幽世(かくりよ)という死後の世界へ行くと考えられています。

残された人々は亡くなった人をお見送りし、死後の世界で家の守り神様としての力を強めてもらい、家のことを見守っていただくために、葬儀をはじめとして、年祭(ねんさい)など一連の祭りを行います。
※年祭については後述したいと思います。

ちなみに「弔う(とむらう)」という言葉がありますが、残された人々ができるところまでついて行き故人の旅立ちを共にする「ともろう」という言葉が語源とう説があります。

神葬祭の流れ

簡単ではありますが、神葬祭の一連の流れについても書いてみたいと思います。こういう流がありますよということであって、細かいところは地域や神社によって違いがあると思います。

枕直しの儀

故人を北枕にして寝かせて顔には白布をかぶせる。枕元に守り刀を置く。

前面に机を置いて、米・酒・塩・水の他、故人が生前好んだものなどをお供えする。

納棺の儀

棺に遺体を納める儀式です。神衣という白い衣装を着せたり、男性なら烏帽子をかぶせ笏を持たせたり、女性なら扇を持たせたりします。

棺に蓋をしたあとは白い布をかけて覆います。

通夜祭・遷霊祭(つやさい・せんれいさい)

通夜祭・遷霊祭とあるように、本来はそれぞれ別に行う祭なのですが、昨今では一緒に行うことが多いようです。

通夜は夜を通すと書くように、本来は夜通し寝ずの番をするものですが、時の流とともに日が沈んだ時間帯なら良いとするようになったようです。

遷霊とは魂に体から離れて霊璽(れいじ・仏教の位牌にあたるもの)に遷っていただく儀式です。神主が遷霊詞(せんれいし)という詞を奏上したあと、「オー」という警蹕(けいひつ・露払いみたいな役割)という声を掛けて魂にお遷りいただきます。

葬場祭(そうじょうさい)

いわゆる告別式とよばれるものです。

神主は祭詞奏上(さいしそうじょう・他の祭りでいう祝詞奏上)のなかで故人の経歴や人となりを奏上します。

弔電の読み上げやなども行われます。

火葬場祭(かそうばさい)

遺体を火葬する前に火葬場で行われる儀式です。

火葬場では時間が限られているので簡略的に行われることが多いです。

埋葬祭(まいそうさい)

お墓に遺骨を埋葬する儀式です。火葬をしたあとにそのまま墓地へ行って行われていたようですが、現在では五十日祭のあとに行うことが多いようです。

帰家祭(きかさい)・十日祭(とおかさい)

火葬が終わって自宅へ戻ってお祓いを受けるのが帰家祭ですが、現在では葬儀場で十日祭と合わせて行われることが多いような気もします(自分の経験だけ?)。

十日祭は仏教では初七日にあたる祭です。十日経ってからまた親族が集まるのはたいへんなので帰家祭一緒に行うことが多くなっているみたいです。

また十日祭までには三日祭、五日祭もありますが、取りまとめて十日祭とすることがほとんどだと思われます。

ここまでが葬儀の一連の流れです。

拍手のときは音を出さない

ちなみにどのお祭りのときでも二礼二拍手一礼の作法でのお参りがありますが、このときの拍手は忍び手(しのびて)といって音を立てないように行います。

戒名の代わりに諡(おくりな)を付ける

仏式では戒名というものがありますが、神式では諡(おくりな)というものがあります。

名前のあとに○○大人命(うしのみこと)などと神様としての名前がつきますが故人が亡くなった年齢と性別によって諡は変わってきます。

神社によってつけかたは微妙に変わってきますが例を挙げてみると

男性女性
3歳まで嬰児(みどりご)嬰児(みどりご)
6歳まで稚児(ちご)稚児(ちご)
15歳まで童男(わらべ)童女(わらめ)
19歳まで彦(ひこ)姫(ひめ)
40歳まで郎男(いらつお)郎女(いらつめ)
70歳まで大人(うし)刀自(とじ)
70歳以上翁(おきな)媼(おうな)

といった感じです。ただ、自分が見てきた限りだともっと大きなくくりで諡(おくりな)をつける人もいて

成人していたら大人命や刀自(とじ)という具合でつける場合もあります。このあたりは葬儀をする神社さんの方針次第でしょうか。

ちなみに明治時代には華族や士族など身分によってもつけ方が違ったようです。

霊璽(れいじ)について

(楽天市場で売られている霊璽の写真を載せてみました。実際の葬儀の際は葬儀を受け持った神社さんで作ってもらえると思います。)

仏教の位牌にあたるものですが、表に諡(おくりな)が記され裏には帰幽(きゆう・亡くなった)年月日や年齢が記されることが一般的だと思います。

材料は欅・桜・さわら・檜など様々なようです。

形は笏型、角形、扁平形、片木形などが用いられます。

葬儀後のお祭りについて

葬儀後は仏教の四十九日にあたる五十日祭、1年経ってから一年祭、3年経ってから三年祭、以下五年祭、十年祭、二十年祭、三十年祭と行います。年数の数え方は仏教と違って亡くなった年を0年として1年経ったら一年祭とします。

きちんとその年数ごとに行うのが丁寧ですが、都合に応じて繰り上げて行ったりということもあります。例えば亡くなってから5年の人と9年の人がいたら、9年の人を1年繰り上げて五年祭と十年祭を合同で行うとかそんな感じです。

年祭はその家の判断によるので家庭で話し合って何年で行うのか決めてもいいかもしれません。

また、何年祭まで行うかは神社によって判断が違いますが、三十年とか五十年とか、その人の生前を知っている人がいる限りとか様々です。

神道のお墓について

神式のお墓は奥都城とか奥津城と言います。読み方はどちらも「おくつき」。

「都」は神官や氏子を務めた人のお墓に使われ、「津」は一般のお墓という区別があったようですが現在ではそのような区別は無いと思われます。

奥は「奥まった場所とか」「置く」という意味、城は「四方を囲んだ一郭」みたいな意味があるそうです。

形状はそうでないものもありますが、お墓のてっぺんが尖っているのが特徴です。

お供えはお花ではなく玉串という榊の枝に紙垂(しで)というギザギザの紙を付けたものをお供えしますが、玉串と一緒にお花をお供えしているお墓も見たことがありますし、お花をお供えしていけないということは無いと思います。

忍び手はいつまで行う?

音を立てずに行う拍手である忍び手ですが、いつまで行うのかという疑問がよくあります。これは神社によって見解が違うのでこれが正しいというものは無いのですが、自分が見聞きしたことがあるのは、

  • 十日祭から音を出してOK
  • 五十日祭が終わるまでは忍び手
  • 一年祭が終わるまでは忍び手

という3つのやり方。葬儀を受け持ってくれた神社によって考え方が違うと思うので気になったら確認してみましょう。

神葬祭まとめ

というわけで神葬祭についてざっと書いてみました。神主さんによって微妙に考え方が違うのでわからないことがあったら、まず葬儀を受け持ってくれた神社さんに尋ねてみるのがよいでしょう。

また、神葬祭や一連のお祭りの目的として、祈りを捧げることで故人が幽世で力を増し家の守り神様となるという考えがありますが、もう一つの目的として親族が揃って交流を深めるということも目的の一つです。

こうしたことを意識して参列すると良いかもしれません。

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