少し前のことですが

「神社で柏手を打ってはいけない」納得の理由

という記事が話題になりました。

記事にアクセスしてもらうために少々過激なタイトルにしたというのもあると思いますが、「神社で柏手を打ってはいけない」と言い切るのはなんとも乱暴な論理だと思いますのでちょっとこのことについて書いてみたいと思います。

拍手をしてはいけないという根拠はあるのか

この記事に書かれている拍手をしてはいけない根拠ですが、箇条書きにしてまとめてみると・・・

  • 昔は合掌して参拝していた1943年の映画『姿三四郎』では合掌してお参りしている
  • 二礼二拍手一礼がいつから奨励されるようなったかわからないがこの記事の著者が大人になるまでは広まっていなかった
  • 二礼二拍手一礼はもともと神職の作法である
  • 神社と寺は密接な関係を持っていた
  • 二礼二拍手一礼玉串をお供えする際に行うものである
  • 二礼二拍手一礼は祈念をする部分が無い
  • 神社本庁が正しい作法というものを指導することで権威を示したいのではないか

といった感じです。

順番に考えてみます。

昔の映画の合掌してお参りするシーン

戦時中の映画、『姿三四郎』のシーンでは合掌してお参りするシーンがあるそうです。自分も時代劇なんかで手を合わせてお参りするシーンを見たことがありますが、だからといって二拍手をしてはいけないというのは論理が飛躍しすぎだと思います。

映画のワンシーンだと演出のためにそのようにしたのか、当時のお参りの仕方がが合掌のみだったのかはっきりしませんし、拍手をしてはいけないという根拠になっていません。

ちなみに1942年頃に発表された戦時歌謡『進め一億火の玉だ』という歌の2番には「靖国神社の御前に 拍手打って ぬかづけば」という表現が見られます(興味のある方は歌を検索してみてください)。

この時期はすでに柏手を打っていたんじゃないでしょうか。

周囲のひとが二礼二拍手一礼をしていなかった

この記事の著者が子供のころは周囲の人は二礼二拍手一礼をしていなかったようです。

そういえば私も子供のころは神社にお参りをしたら二礼二拍手一礼をしていました。ただ拍手はしていましたし、そもそも二礼二拍手一礼をしていなかったからといって柏手を打ってはいけないという理由にはならないと思います。

ちなみに二礼二拍手一礼については別記事にまとめていますので気になる方はこちらもご覧いただければと思います。

二礼二拍手一礼はもともと神職の作法である

二礼二拍手一礼は確かにもともと神職の作法であると思います。

歴史も比較的新しく、明治15年に皇典講究所という神職の養成機関で指導されたのが初めてであったという説があります。また、昭和23年に神社祭式行事作法というものの改定で二礼二拍手一礼が神職の作法として定着したようです。

伊勢の神宮で神職が行う八拍手など、神職と参拝者で作法が違うケースはありますが、かといって参拝者が神職と同じ作法を行ってはいけないという決まりがあるわけでもなく・・・

拍手をしない根拠としては説得力に欠ける気がします。

神社と寺は密接な関係を持っていた

明治の神仏分離で神社とお寺が切り離される前は神仏習合で神社とお寺は一緒に考えられていました。よって神社へお参りする際も柏手ではなく合掌をしていたという話ですが・・・

神社参拝の作法に統一の動きが見られるのは神社と国の関りが密接になる明治以降ですから、仏教に倣って合掌していたということも十分に考えられます。

ただ、参拝作法が統一されていなかった時代ですから合掌をする地域もあれば拍手もする地域もあったでしょうから、これだけの理由で柏手を打ってはいけないというのは納得しかねます。

そもそも神仏習合以前、魏志倭人伝の記述には貴人に対して跪いて拍手をしていたことが記されており、当時は神様や貴人に対して拍手をしていたという説もあります。

二礼二拍手一礼は玉串をお供えする際に行うもの?

神社では榊の葉に紙垂(しで)というギザギザの紙を付けた玉串をお供えする玉串拝礼(たまぐしはいれい)というものがあります。

玉串拝礼の流れは玉串をお供えした後に二礼二拍手一礼ですが、この記事の著者曰く「作法に流れがあり、違和感を持つことはなくなる。」とのことです。また、二礼二拍手一礼には祈念するという部分が無いとのこと。

個人的には玉串をお供えしてもしなくても二礼二拍手一礼の作法に違和感はありませんが、中には違和感を感じるという人もいるのかもしれません。ただ、祈念する部分が無いというのは賛同しかねます。

確かに参拝者に二礼二拍手一礼の作法を案内したときに「いつお祈りするんですか」と聞かれたことがあります。その時は「二拍手の二回目に手を合わせた時に行ってください」と案内していました。また、二礼二拍手一礼をしたあとに手を合わせて祈願をしている人を見かけたこともあります。

拍手で手を合わせた際に祈念ができますし、二礼二拍手一礼のあとに改めて祈念することもできるわけで・・・祈念する箇所が無いから二礼二拍手一礼が好ましくないという論理はよくわかりません。

神社本庁が権威を示したい?

全国の神社の包括団体(一部の神社は違う)である神社本庁が正しい作法というもの指導することで権威を示そうとしてきたのではないかとこの記事の著者は指摘します。

神社本庁のやり方に対して疑問を持つ神主がいることは確かですし、神社本庁も権威が欲しいかもしれません。

お参りの際に指針が必要な場面もあるんです。例えば会社の祈願やスポーツチームの必勝祈願、地鎮祭など。神社で祈願をするのは神様に祈ることはもちろんですが、参列者が気持ちを合わせるという側面も持っています。

気持ちを合わせるにはやはりみんな同じ作法で参拝したほうがいいわけで、そんな場合の基準として二礼二拍手一礼を神社本庁が示すのは理にかなっている気がします。また、「好きにお参りしてるよー」という人は別にいいのですが、お参りの方法が分からないという人に対しても作法を示すのは必要なことだと思います。

出雲大社などその神社に伝わる作法があるところは良いですがそれ以外の場合は指針を示すのも必要なことかと思います(こういう作法になった流れや作法は強制でないことも示してほしいですが)。

そもそも参拝作法って

神道に教義といわれるものはありません(古事記や日本書紀が教義にあたるという考え方もありますが)。よって参拝の仕方も明確に示されているわけではなく、参拝の仕方も多数あります。昔の人が「どうやったら神様に気持ちが届くのだろう」と考えた末、様々な作法が生まれたわけで、それを否定するのはどうかと思います。

二拍手をしないというのも一つの考え方ではありますが、だからといって二拍手をしてはいけないと人に言うのも乱暴だと思います。要は二拍手をしないのは勝手だけど人に押し付けるなという話です。

まあ、「神社本庁も押し付けているじゃないか」といわれればそういう面もあるかもしれませんが、「神社で柏手を打ってはいけない」と作法を否定するのとはちょっと違う気がします。

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2 コメント

  1. はじめてコメントさせていただきます
    神社のマナーとか こういうこと とても勉強になるし考えさせられます
    我が家は親戚一同神道なので作法には違和感はないのですが 由来や根拠などは全く無頓着でした

    参拝のマナーも言葉と同じで生き物だから 時代とともに変化していくこともあるだろうし しっかりした教えのもとに普遍的であるべきものもあるはずです

    まずは基本というのか 歴史を知って おくのが大事ですよね

  2. コメントありがとうございます。

    多くの人はそんなに深く考えていないですよね。

    経緯を知っていると同じ作法でも意識が変わる部分があるかもしれませんし、知っているに越したことは無いのでしょうが、まあ人の参拝作法に必要以上に駄目出しする人が居なければいいんじゃないかと思っています。

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