時代劇で神社のお札が玄関の上に内側を向けて貼られているのはなぜか?

2019年4月12日

自分は時代劇をちょくちょくみるのですが、町民の長屋とかのシーンで玄関の人が出入りするところの上にお札が祀られているのを見て、なんで玄関なんだろうと思うことがありました。

お札は家の中を向いているし、悪いものが外から入ってくるのを防ぐためのお札でもなさそう・・・

時代劇だから家の内部まできちんと時代考証がされていないということも考えたりもしましたが、うーん?

そんな中、神主経験のある友人と話していて納得できる話が出てきましたので書いてみたいと思います。

「ただ、話を全て鵜呑みにせず、ウラを取ってくれ」と言われたので、確証のある話ではありません。そういう風にかんがえている人がいるんだぐらいで考えて、

話半分でお読みください。

お札に対する考え方は江戸時代と明治時代で大きく変わった

彼が言うには江戸時代までと明治以降ではお札に対する解釈が違うのだそうです。

江戸時代まで・・・お札自体にお祓いの力があった
明治時代以降・・・お札を通して神様に対してお祈りをする

というように変化が起こったのだとか。

そいうえば伊勢神宮のお札である神宮大麻も江戸時代以前は御祓大麻(おはらいたいま)などと言われていたといいますし、伊勢神宮のサイト内の神宮大麻の解説ページでは「一万度御祓大麻」と書かれたお札の写真を見ることもできます。

参考:伊勢神宮のサイトの神宮大麻と神宮暦

お札自体にお祓いの力があるとされていたとしても何らおかしくないし納得のいく話だと思います。

それが明治になって御祓大麻の頒布が禁止され、明治天皇の思し召しによって全国に頒布されるようになりました。このときにお札は神様の御神威をいただくためのものへと変化していったようです。

まとめると

江戸時代まで・・・護符的意味合い
明治時代以降・・・神様を意識したり神様と通信したりする意味合い

ということかと。

人が通る度にお祓いができるように玄関に祀った

お札ではないけどお祓いの道具、大麻(おおぬさ)

そんなわけで江戸自体以前はお札にはお祓いの力があると考えられていたので、人が通る度に祓い清められるように玄関口の上にお札を貼っていたというのです。

自分の中ではいろいろと合点のいくところがあって時代劇の中でみた光景に対して浮かんだ疑問がすっきりしました。

これが本当に正しいのかどうかは確証はありませんが、自分は今度からそういう解釈で時代劇を見ることにします。

現代ではお札を玄関にお祀りすると、騒がしかったりでよくないとされていますので祀らないようご注意を(悪いものが入ってこないよう玄関の外に貼るお札などは除く)。

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