子宮教の子宮は神社説について思うこと
数年前に流行った通称「子宮教」と呼ばれる教えを御存知でしょうか。なんでも神社は子宮の象徴で、子宮をもとにして作られているのだそうな。そして女性は神の宮を宿す身であるというのです。
このことに関してはどのぐらい神話や書物などの引用が一切見られないことから根拠が無い話だと言われています。
まあ、その人が思っただけということですね。
たぶん友達の神社関係者に聞いてみても「子宮は神社?????なにそれ?」ってなると思います。
今回はこの神社は子宮をもとにして作られた説について、自分も根拠は無いけど思ったことを書いてみたいと思います。
子宮と神の子
「子は天からの授かりもの」という言葉があるように神様から命を授かって生まれるものだと考えられてきました。
また、昔は小さいうちに亡くなる子が多かったことから子供のうちは神様の世界と現世との間で命がしっかりと定まっていない状態であり、7歳までは神の子として考えられることもありました(このへんの説明は七五三でけっこう使う)。
子宮教ではこうした神の子を宿すということに影響を受けた考え方がみられます。女性の子宮に神の子が宿るので崇高な精神で生活することが必要なのだそうです。
まあ確かに崇高な精神で生活することは大切かもしれませんね。でも男女関係なく崇高な精神で生活するべきでは?
でも神社は子宮ってのがわからない
でもだからといって神社は子宮をもとにして出来たというのは意味がよくわかりません。
神社の社殿がどうして作られるようになったのかはいろんな説がありますが、お祭りのときに臨時で作っていた祭壇が社殿になったとか、お米を保存する高床式倉庫で祭祀を行っていたのが元だとか様々です。
「子宮に神の子を宿すという面が神聖だから子宮が神社になった」という主張なのかもしれませんが、男と女が揃わなきゃ子供はできませんし、男も女も神聖なんじゃないでしょうか。
また、子宮教では子宮がご利益満載の神社と捉えているみたいですが、子供を宿す場所なんだからそういう意味で大切にしろよって思います。
ジェムリンガというパワーストーンを子宮に入れる人もいるみたいですが、もし子宮が神社だとしたら神社に異物を入れることになるんじゃ・・・参道塞いどうすんの・・・
医学的にもよくないみたいです。
子宮の声が聞こえるっていうけど
子宮教は子宮の声に耳を傾けなさいっていう教えだそうですが、子宮は神の子とも言われる子供を宿すところではあるけれども神様と通信できるわけでは無いので、子宮の声って何を聞くんだと疑問に思います。
体調が良くないときに、体を休めたり無理をしないようにするというのなら分かるのですが・・・
ちょっと調べてみたら「外に向かって言ってしまった文句や嘆き」が子宮の声なんだそうです。
いやそれ子宮の声じゃなくて自分の普段の不満じゃん・・・
ちなみにそういうときは
- 子宮と仲直りの対話
- 子宮を温める行為
- 睡眠・休息
をするそうです。
睡眠・休息はわかります。そりゃ休めたほうがいいですよね。子宮と仲直りの対話って何なのでしょうか。それは子宮との対話じゃなくて自己対話なんじゃ・・・
子宮を温める行為というのは医学的にどうなのかはわかりませんが、体調が良くなるのならありか・・・?
うーむよくわからん。
でも子宮は関係なく自分と向き合えばそれでいい話なんじゃないかと思う次第です。
結論
結局自分で書いてても何がなんだかよくわからなくなってきましたが、自己対話をして自身の置かれている状況を考えて、これからの生活をよりよくしていくべきで、子宮の声というのは子宮というより自分の声であって・・・
つまり子宮は関係ない!!
と思いました。
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